「なぜフィリピンの人々は未だに日本の特攻隊員に敬意を払うのか?(神立 尚紀)(1/6)」
「決死隊を作りにゆくのだ」――大西瀧治郎中将のつぶやきを、副官・門司親徳主計大尉は、隣り合わせに座った乗用車の後席でじかに聞いた。フィリピン・マニラの第一航空艦隊司令部から、クラークフィールド・マバラカット基地へ向かう道中、昭和19(1944)年10月19日、夕刻のことである。これが、以後、終戦まで10ヵ月にわたって続けられた特攻作戦の、事実上の始まりだった。 戦後75年の今年3月、筆者は、門司副官の長男・和彦氏らと、クラークフィールドの特攻基地跡を訪ねた。「新型コロナウィルス」COVID-19がフィリピンでも猛威を振るい始め、首都がロックダウンされたため、ごく短期間の滞在に終わったが、マバラカット、バンバン、アンヘレス……平和でのどかな風景のあちこちに戦争の爪痕を垣間見ることができた。そして、現地で出会った男性の意外な素顔とは――。
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2020-04-23 13:45:28